【自己紹介】その1 Sier時代

【自己紹介】その1 Sier時代

大学卒業して最初に入社したのが、某大手メーカー系Sier。

客先に送られるのかと思いきや、なまじっか大学で情報科学を専攻していたため、自社パッケージ製品の開発部門に配属。担当したのはお堅い業務ソフトで、その筋では日本シェアNo1、会社でも稼ぎ頭の部門でした。

まだIT関連がブラックと言われていた時代、だいぶマシな方であったとは思いますが、自身のキャリアの中では一番辛い思いをしたのがこの会社でした。

しかしながら、日本シェアNo1の製品の開発を担当したというのは大きな自信にもなり、キャリア上もそこそこインパクトがあるので(今でも面接官が歴戦のおっさんだったりすると製品名知っててくれたり)、今思えば大分幸運だっとと思っています。

キャリアサマリ
・在籍:5年
・経験業務:仕様設計、詳細設計、コーディング、単体テスト、結合テスト、システムテスト。
・マネジメント:パートナー2名程度
・在籍中の年収:70万増

いきなり開発にアサイン

研修終わって部門に配属されると、すぐに製品のメジャーバージョンアップ開発にアサイン。

製品自体はサーバー、クライアント等、複数の製品で構成されており、私が担当したのはクライアント製品。しかも1人で担当

今思えば、自社のメインプロダクトの開発を新卒1年目に任せて大丈夫か?という感じでしたが、当時右も左も知らない新人だった私は、何の不安も懸念も抱かず、指示されるままアサインされ地獄をみることに。。。

案の定、右も左もわからず、、、スケジュールも人員もそのまま、言われるままに追加仕様を受け入れ、開発規模は当初の倍以上に。(肝心のOJT担当もニヤニヤ笑うだけで守ってくれず)
入社半年で残業時間が80Hを超え、社会人初の夏休みは取得できず、プロジェクトが落ち着いた年末に一人取得することに。

会社的にも製品の特徴的にも品質基準は非常に厳しく、徹底的にコーディングの基礎と試験の技法を叩き込まれたのは、今思えば自身のエンジニアのキャリアのベースになる非常に良い経験でした。若い頃の苦労は買ってでもしろというのはその通りだなと思いました。

やりがいが感じられない

何とか初プロジェクトは気合でやり切ることができた。その後も引き続き同製品の、マイナーバージョンアップとメジャーバージョンアップを担当。

最初は、仕事なんてこんなもんかと思っていたものの、徐々にやる気も出なくなっていきました。
一番の原因はやりがいが感じられなかったこと。日本シェアNo1なので、やりがいも感じられるかと思いきや、問題は仕事の進め方にありました。

今でこそ、開発者がお客様の声を聞いて、どのように製品が使われているか理解することは当たり前になっているが、当時はそのような考え方も少なく、開発部門への要件のインプットは営業が作成したペライチのWord文書のみ。
お客様の顔も見れず、どのように使われてるかもわからずの中、もらったWord文書の要件通りに仕様を起こして開発する日々にやりがいも感じられれず、ただただ辛い日々が続く。。。

当時は出世意欲もなく、上を向いても将来こんなふうになりたくないなという上司ばかり。

仕事辞めるって

ただただ、耐える日々が続く中、一つのターニングポイントが訪れました。
地元の趣味仲間のおじさんが、仕事を辞めて職業訓練校に入校、会うたびに職業訓練校での楽しい日々を語って聞かせてくれました(たまに恋愛も)。

当時、まだ転職も一般的ではなく、終身雇用の考え方も色濃く残っていた時代に、

あ、仕事って辞めても大丈夫なんだ

と大きな気づきを得ました。

毎週話を聞かされる中、徐々に退職への気持ちが高まり、勤続5年が終わるあたりにとうとう決断して上司に退職の旨を告げました。当然引き留めにもあい、他の部門への異動も提案されたが(お前、明るいし営業なんてどう?なんてのもあったり)、意思は固くそのまま退職しました。

ちなみに余談ですが、私が所属していた部門には同期が5名が入社。
1人はメンタルを病んで退職(会社の前でぶっ倒れたとか、、、)、1人はメンタルを病んだあと閑職に異動し細々とやってるとか、そして2名は残って元気に出世し、最後が私。

正常な状態での生存率は50%以下。。。

結論

今考えると行き当たりばったりで、褒められたもんでもないが、結果として退職して良かったと思っています。

そのまま仕事を続けていればそれなりに出世して安定した報酬は得られたと思いますが、日々やり甲斐のない中耐える日々が続いたと思うし、何より同じ製品の担当を続けることで技術的にも業務知識的にも広がりがなく、40代で転職できないダメエンジニアに仕上がっていた可能性も高い。。。

きっかけはアレですが、本当にやめてよかったと思っています。

PS

退職した後は希望通り、職業訓練校に半年ほど通いましたが、聞いてた通り楽しい日々を送れました(恋愛はなかったけど)。