【体験談】死ぬほど辛かったが成長できた経験

【体験談】死ぬほど辛かったが成長できた経験

これは私がメガベンチャーに所属していときのお話です。サラリーマン人生で一番辛い経験でしたが、一番成長できた時期でもありました。当時の状況や得た学びについてお話ししたいと思います。

初めてのマネージャー

当時、私はエンジニアとして、日本トップクラスのシェアを誇る、Webサービスとスマホアプリの、企画、設計、開発、運用を担当しておりました。

特に、スマホアプリにおいては、リニューアル開発を完了させた直後で、アプリに対する愛着も高く、毎日レビューを眺めながら改善案を提案、即時に実装して爆速リリースを繰り返しており、エンジニアながら企画も含めて担当させてもらっておりました。

そんな折、会社としてスマホに力を入れていく方針、そのためにエンジニアに仕事を任せていく方針が、全社で進んでおり、前任のプロダクトマネージャーが他部署に異動したタイミングで、後任として指名されました。

当時マンションを購入して、将来設計を本格的に考え始めていたこともあり、二つ返事でOK。

初めての役職、マネジメント経験の始まりとなりました。

プロダクトマネージャーとは

当時、体制変更があり、通常のリーダー、マネージャーといった、ライン組織上の役職に加え、サービス毎のプロダクトマネージャーが正式な役職として設定されました。

人材育成や評価などは担当街でしたが、サービス全体の予算管理、体制管理、戦略策定、上位マネジメントへの報告などが主業務であり、当時配下には10名程度の人員がいました。

人員の内訳としては、エンジニアだけではなく、デザイナー、企画、ビジネス担当なども所属しており、今までエンジニアのライン組織にいた私としては、初めてのマネジメントかつ、エンジニア以外の人材をマネジメントしなければならないという、初めてだらけの経験でした。

当時、プロダクトマネージャーに就任が決まってから、何か勉強しなければと、当時はやっていた「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(通称もしドラ)」を呼んだのを今でもよく覚えています。

エンジニア出身のプロダクトマネージャーとして

当時は社内でも事例の少ない、エンジニア出身のプロダクトマネージャーということで、社内でも注目されましたし、特にサービス内のエンジニアからも期待されておりました。

正直、就任直後はろくにマネジメントもできておらず、プレイングマネージャーとして自身で開発もしつつ、前任者の構築した体勢を引き継ぎ、なんとか運用していたという状況でした。

また、元々サービスのシェアも強く、また周りの企画、ビジネスメンバーも優秀だったことから、特別施策等は行わなくてもサービスの業績は伸びていき、上位マネジメントからの評価も上々でした。

失敗その1 エンジニア以外を蔑ろに

エンジニア出身のマネージャーということで、注目され調子に乗った私は、サービス内のエンジニアたちにどんどん企画業務やサブプロジェクトを立てて任せるなど、エンジニアファーストで体制構築などを進めていきました。

ノリで始めたものの、当然のことながら、企画のトレーニングなどを受けていないエンジニアに企画やサブプロジェクトを任せても、うまく回らず、結果も出ませんでした。

もっと不味かったのが、エンジニア以外の企画メンバーを蔑ろにしていたことでした。

ある日、企画のリーダーからMTGを設定され、なんのことかと会議室に向かうと、そこにはリーダーを中心に企画メンバーがずらり。はじまるなり、企画の仕事がなくなっている、何をやっていいのかわからなくなっている、そもそも今の体制で成果出てないだろと、リーダーからのお叱りが。

そのリーダーの方はかなり年上のビジネス出身でかなり優秀な方でしたが、非常に怒りやすいかたでした

私としても、そこでようやく問題に気づき、改善するように検討すると伝えたものの、その日も火がついてしまったようで、2時間以上怒りをぶつけられ、周りの企画もあわあわとしている状況でした。

ビジネスのイロハを学ぶ

私を叱りつけた企画リーダーの方は、怒りっぽく、時たま理不尽なことをことを言ったりするものの、基本的には優秀かつ勉強熱心な方で、最もな意見も多く出してくれました。

素直に優秀だと認めた私は、その後企画リーダーの方の話を真摯に聞くようになります。その方から学んだことをいくつか事例としてあげたいと思います。

サービスはあくまでビジネス

当時会社としてユーザー第一を謳っており、評価としてもその思想が強く盛り込まれていました。私もそれを間に受けておりましたが、その方は「あくまで我々はビジネスをやっている。ユーザー第一は非常に大事なことだが、まずは収益をあげなければサービスを継続することもできない」と常々言っていました。

今では、完全に私も同意の内容です。

社内的にも、いずれ収益が見られるようになるのは明白ですし、当時は現実にそうなりました。

マネージャーとミッションとしては、ユーザー第一の方針を掲げつつも、サービスが継続できるよう収益もしっかりと伸ばすためのバランスを取ることで、そのためにメンバーへの指針を説明し理解させることが重要となります。

パートナーとはwinwinな関係を

当時、サービスの内部で利用する、コアな情報については外部の業者から購入しておりました。

長年パートナーとして契約を続けてきましたが、どうも話を詳しくすると、こちらの会社が立場が強いのをいいことに、無理難題も過去に押し付けている様子でした。

それもあってか、新しい情報の提供など、新規の依頼をしても中々乗り気になってくれず、革新的なサービス改善が進まない状況となっていました。

企画リーダーの方は、その関係性に気づき、今後中長期的にサービスを伸ばしていくためには、パートナーの協力が必須、末長く協力いただくためにwinwinな関係を築かなければならないと課題を提起してくれ、私もそれを承認し実際に契約の見直しを実行してくれました。

結果としては、サービスが伸びれば、パートナーの方にもしっかりと還元されるような契約に見直され、その後パートナーもより協力的になり、私の在任中にいくつかの新機能を提供することができました。

今では当たり前に語られている内容かも知れませんが、当時ビジネスを知らない私にとっては、非常に良い気づきとなりました。

失敗その2 怒られ続ける

当時、企画リーダーの方を完全に認めてしまったため、私から教えを乞う機会も増えておりました。

しかしながら、やはり怒りっぽい方なので、私がマネージャーとして至らない点があると、すぐに火がつき説教されました。(私以外のメンバーもちょいちょい怒られてました)

私としても、もう少しマネージャーとしての責任を持ちつつ、頼るような関係性を築ければ良かったのですが、それがうまくできずに、パワーバランスが崩れてしまったところもあります。

流石に度が過ぎる点もあり、怒られた方の中には上位のマネージャーに相談するなど問題になり、上位マネージャーも出てきて話をしてくれましたが、結果的には改善せず。

私が別のサービスのプロダクトマネージャーに異動するまで、学び怒られを繰り返すことになりました。

正直、サラリーマン人生で、一番辛かった期間となります。

まとめ

当時はかなり辛かった状況ですが、今になって振り返ってみると、私のマネージャーとしての基礎、ビジネスの基礎はその頃に築かれたと思います。

特に人間関係については、うまく気を使えるようになっており、その後2回転職を行なっておりますが、上手く既存メンバーを立てつつ、しっかりとアピールし、成果を残すといった形で、うまく立ち回れるようになりました。

学びを得ることができる優秀な仲間と働くことは、キャリアを築く上で非常に重要なことだと思います。